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“並の玄人”より“思いのある素人”に!‐ID社イノベーションチームメンバーより‐

2012年05月16日 11:15

<インストラクショナルデザイン通信2012年2月号より>

1月のコラムでは、「飛躍の辰年にするために」と題し、新年を迎えて今年はどんな年で、どう対処すべきかについて書きました。今月は、今から約一世紀前に、文豪が記した新聞記事からの内容です。
1914年(大正3年)1月の朝日新聞に5回に亘って記載されたコラムに夏目漱石著「素人と黒人」(しろうと と くろうと(玄人))があります。この連載記事は、極めて興味深く、我々に大いなる示唆を与えてくれるものなので、紹介したいと思います。(一部読みやすいように原文を変えています)
この年(1914年)の出来事は、
3月: 辰野金吾設計による東京駅が新築落成
7月: 第一次世界大戦勃発 、などがありました。
漱石は、一般に使われている「素人」「玄人(原文では黒人)」の区別や定義に一種の違和感を得て、当代の歌舞伎大名跡である菊五郎、吉右衛門、両名と「素人と玄人」について議論したが、十分な議論にならず、疑念を晴らすに至らなかったようです。そして、良寛上人の玄人見地を引用し、純粋でナイーブな素人の品格、心の純なるところ、気の精なるあたり、そこに摺れ枯らしにならない素人の尊さが大切で、玄人の臭いを憎む考えを書いています。そして、ついにこう言います。
「一見人を引き付ける魅力をもった玄人というものが、存外つまらなく見えて来る。」「要するに玄人の誇りは単に技巧の2文字に帰着してしまう。そうしてそんな技巧は大概の人が根気良く丁稚奉公さえすれば雑作なく達せられるものであるという心持になる。」
「改良で事が済むのだから、精神的な教養よりも遥かに容易である。容易であるから誰にでも達せられる。」
また、「玄人は局部に明るい癖に全体を眼中に置かない変人に化けてくる。」「部分的な改良なり工夫なりが全体に響いていない場合が多い。ただ細部へと切り込んでいく。それで自分は立派に進歩していると考えるらしい。高い立場から見下すとこれは進歩でなくて堕落である。」とまで言い切っています。
一方、「素人は部分的な研究なり観察には欠けている。その代わり大きな輪郭に対しての第1印象は、玄人よりは鮮やかに把握出来る。」「玄人のように細かい鋭さは得られないかも知れないが、全体を一目で握る力に於いて、玄人の瞳よりも確かにはつらつとしている。富士山の全体は富士を離れたときにのみ判然と眺められるのである。」
つまり、全体を俯瞰し、大きく捉えることが重要だと指摘しているのです。
そして次のように結論付けています。
「昔から大きな芸術家は守成者であるよりも多く創業者である。創業者である以上、その人は玄人でなくて素人でなければならない。人の立てた門を潜るのではなくて、自分が新しい門を立てる以上、純然たる素人でなければならないのである。」
「ここにいう玄人というのは無論只の玄人を指すので、素人というのは芸術的傾向を帯びた普通の人間をいうのである。偉い玄人になれば局部に明らかなのと同時に輪郭も頭に入れているはずであるし、つまらない素人になれば局部も輪郭も目茶目茶で解らないのだから、そんな人々は自分の論ずる限りではないのである。それから俗にいう通人というのは玄人の馬鹿なのよりもずっと馬鹿なものだから、是も評論の限りでないことを断って置きたい。」
なんと明快で痛快なコラムでしょうか。
順に表すと、①偉い玄人、②素人、③只の玄人、④つまらない素人、⑤通人、となります。
新しい門を立てる人や創業者、現代で言い換えると「イノベータ」は、①ないし②の人にしか成し得ないということでしょう。
③や⑤にならないよう、我々も心していきたいものです。
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